京都伏見中村ローソク HOME > 和蝋燭の歴史
現在のように、櫨(はぜ)の実を使った和蝋燭が作られ始めたのは、室町時代です。櫨(はぜ)の他にも漆の実などが用いられた木蝋燭は、その後主流となっていきます。
和蝋燭の使用量がピークを迎えたのは、江戸時代後期から明治時代。とはいえ、江戸時代後期においてもやはり和蝋燭は高級品で、使用できるのは裕福な商人や武家が中心でした。庶民は、菜種油の灯りを使うことが一般的だったそうです。
そんな中、明治時代になると、一気に蝋燭が庶民にまで浸透することになりました。その要因こそ、西洋ローソクの普及です。明治時代になり製造が始まった西洋ローソクは、安価に加え、明るさも安定していたため、一気にシェアを伸ばすことになり、和蝋燭は苦境に立たされました。その状況は、電気の発達した現在において、さらに顕著なものとなり、蝋燭自体のニーズも減ってきているのが現実です。
中村ローソクでは、1991年まで全て櫨(はぜ)を原料とする木蝋を作っておりました。しかし、雲仙普賢岳の噴火により、主産地であった長崎県の櫨(はぜ)が全滅して以来、木蝋だけでなく、米ぬか蝋とパーム椰子蝋のブレンドしたものも作るようになりました。
それでも昔ながらの製法は変えることなく、丹精込めて1本1本作り続けてきた結果、今なお多くのお寺様をはじめ、一般のお客様にもお使いいただいております。
最近では若い人や外国の方にもご購入いただけるようになっており、嬉しい限りです。こうした皆様のためにも、伝統の技法や心を後世にしっかりと伝えていけるよう、魅力的な和・京蝋燭作りに勤しんでまいります。
それでも昔ながらの製法は変えることなく、丹精込めて1本1本作り続けてきた結果、今なお多くのお寺様をはじめ、一般のお客様にもお使いいただいております。
最近では若い人や外国の方にもご購入いただけるようになっており、嬉しい限りです。こうした皆様のためにも、伝統の技法や心を後世にしっかりと伝えていけるよう、魅力的な和・京蝋燭作りに勤しんでまいります。